日本人が英語を学ぶのは、想像以上に難しい。

はじめに

英語は、2度の世界大戦を経て20世紀に国際公用語としての地位を不動のものとし、21世紀に入りますますその支配力を強めているように感じます。

ある言語を母国語として話す人口数で比較する場合、中国語、ヒンディー語、またはスペイン語といったように、英語と比較しても遜色ない言語はあります。

ただ、英語の最大の強みは、それを母国語とする人口数といった単純比較ではなく、外国人同士のコミュニケーション言語としての地位を確立していることや、現代の社会インフラであるネット環境において支配的な言語であることなど、いわゆる、国際公用語としての地位を占めていることにあります。

想像してみてください。10人の様々な国の人が集まり会議をするとき、コミュニケーション言語は英語になるのが普通です。

これは英語の第一外国語としての普及範囲の広さから、全員が理解可能な言語は何かと消極的に選別をしていくと、最終的に英語しか残らないことがほとんどだからです。

仮に、10人のうち9人が日本人だとしても、英語しかできない米国人が一人含まれていたら、その場での会話は英語になります。

これが今や国際的な公共財となった英語の威力ですね。

その意味で、幸運にも英語を母国語とする国に生まれた人は、現代社会では大きな強みを有していると言えるかと思います。

なぜ英語は国際共通語としての地位を獲得したのでしょうか。

これについては、諸説あり、私自身も一つの仮説を持っています。

英語が国際的な公共財としての地位を確立していくプロセスは、人類の近現代史とほぼ重なるテーマであり、知的探求の材料としては最高の素材でもあります。

ただ、この話は長くなるので後日に譲ることとして、ここでは、果たして英語は、非英語圏の外国人にとって学びやすい言語なのか否かについて、自分の経験を踏まえた気づきの点をお話ししたいと思います。

なぜなら、外国人が学びやすい言語だから世界中に広まったと思いますよね、普通は。でも、実際はその真逆じゃないかと思うからです。

英語を学ぶのが難しい3つの理由

結論から言うと、欧州に起源を有するアルファベットで表記される言語の中でも、英語は外国人が最初に学習する外国語としては必ずしも適さない言語であると思っています。

もちろん、すべての言語が、その言語体系を発展させてきた人々の文化や歴史を背負っています。つまり、別の文化圏に所属する外国人が学習するに際して、簡単な言語など存在しません。

これは当然の大前提としつつも、他の欧州起源のアルファベット言語との比較においても、英語はおそらく言語としての完成度が相対的に低く、それ故に、外国人の学習者にとっては習得が難しい言葉の一つと言えるのではないでしょうか。

ここでは、言語としての完成度が比較的高いと考えられるフランス語との対比から、論じてみたいと思います。

その理由は以下のとおりです。

発音に規則性が乏しい。

皆さん、英語の発音ではとても苦労されていると思います。

私もいまだに、「L」と「R」をきちんと発音し分けられているとは思えません。相変わらずあいまいに、それらしく発音してお茶を濁しているのが現実です。

普段から英語を話すための口や舌の筋肉のトレーニングもできていないので、長時間英語を話していると、口の筋肉が緊張に耐えられず、疲れから発音がさらに不正確になります。

話がずれましたね。

日本語には母音が5つ(※関西弁では6つと言われていますが)なのに対し、英語は一説によれば26あると言われています(ちなみに、フランス語は16です)。

私たちの耳は日本語の比較的はっきりとした音の区別にどっぷりと浸かっているため、英語やフランス語の母音の微妙な違いを正確に聞き分け、話し分けることに苦労します(この話も長くなるので、後日にしましょう)。

と、これだけでも大きなハンディなのに、加えて単語の綴りと発音の間に規則性が乏しい、少なくとも規則性が弱いという構造的な問題があります。

もう少し端的に言い換えると、単語の綴りと単語の発音記号の間に一対一の規則性の例外が多いということです。

ちなみに、フランス語は単語の綴りと発音記号がほぼ完ぺきに対応しています。

フランス語同様に欧州アルファベット言語の多くは、上述のとおり、単語を構成するアルファベットの配列と、発音の規則が一致しています。

すなわち、子音と母音、子音と子音の組み合わせから発声される音が原則ひととおりしかないため、発音のルールさえ覚えれば、外国人であっても正しく発音することが可能となります。

どういうことかと言うと、例えば、フランス語は発音のルール(発音記号)と、それぞれの母音、子音を発声するための口腔内の歯と舌と口の開き方のポジションを習得すれば、外国人でも正確に発音できます。

しかし、英語にはこの当たり前が必ずしも適用できません。

英語にも、もちろん発音記号があり、しっかりしたルールもありますが、例外が多く、それらを一つずつ覚える必要が生じるため、ルールの規範性が弱まっています。

もし、正しく発音しようとすると、単語を暗記するときに単語の綴りとともに、発音記号も同時に覚える必要があります。

大げさに表現すると、究極、ネイティブに発音してもらわないと、ある文字の羅列がどのような音で表現されるのか分からないというのが、英語ということになります。

これでは外国人が外国語として学ぶ際にハードルが上がりますし、学習に必要な時間数も増加することになります。

これが、英語を難しいと感じる第一の理由です。

英文法には例外が多すぎる。

「英文法には例外が多すぎる」という感想をよく耳にしますが、少なくともフランス語と比較すると、英語には一般ルールに対する例外ルールが多すぎて、「個別具体的に法則を覚えるのがルール」のような感さえあります。

もちろん、言語の体系化の時間的な流れを考えれば、口承伝承されてきた言い回しや表現のうち、共通の規則性を見出し得る要素をまとめたものが「文法」ということだと思います。

つまり、まずは言語表現があり、その後にルールが形成されたはずで、つまりルールに当てはまらない表現が存在することはむしろ自然なのです。

ただ、言語としての成熟度、完成度が増していく中で、文法ルールが高度に整備され、体系化され、整理されていくはずなのに、英語には国際公用語になった現在でもなお、その文法にあいまいで遊びの余地が見られることが大きな特徴だと思っています。

これが悪いと言うのではありません。

規則に縛られない、表現に柔軟性のある言語の方が、技術革新のスピードが速く、新しい概念を取り込む必要性に迫られている現代社会においては望ましいという考え方もあるかもしれませんし、まさにそうなのだと思います。

ただ、英語を幼児期より自然な形で学習するネイティブではなく、ある程度母国語での思考能力を付けた後で、後天的に理屈を通じて学ぶことになる外国人には、ルールの例外の多い言語は、暗記すべき事項が多いという点で、扱いにくいものであるということを言いたいのです。

これが2番目の理由です。

言語の構造上、あいまいさが残る。

上記の話ともつながりますが、文法構造がカチッと決まっていないことから、英語の文章構造が複雑になると、場合によっては、発信者が意図していることを、受信者がうまく捉えられない、もしくは誤解して捉えてしまうことがあります。

一つだけ例を挙げると、英語ではある名詞や名詞句、文章の塊を後ろから形容するために、「to +動詞」による動詞句で表現することが多い(日本語で訳す場合、〇〇のために、とか、〇〇のための、とか訳出する)ですが、文章構造が複雑になり、形容される名詞句の候補が複数あり、かつ、形容する側の動詞句が、複数並列で並ぶ場合など、複数の解釈が可能となるようなケースがあります。

フランス語の場合だと、形容される側の名刺、名詞句と形容する側が相互に関係していることを、名詞や動詞の語尾の変化で表現しますので、この種の解釈の余地がほとんどなくなります。

ここでも、英語の文法構造や構文がもつあいまいさを批判しているのではありません。

例えば、厳しい外交交渉や政治的な駆け引きの場においては、当事者間の意見の違いが最後まで埋まらず、表面的な妥協案を模索しなければならないことは多いはずです。

そのような場合には、フランス語のような誰でも同じ結論を導いてしまう言語よりは、それぞれの立場で自らに都合の良い形で解釈する余地が残る英語の方が、より望ましいという考えもあり得ます。

私の個人的な経験でも、あえて当事者のそれぞれに都合がよい結論を導き出せるように、協同してあいまいな英語表現を模索するという作業をしたことも多々あります。

ただ、この種のあいまいさは、学習段階ではやはり覚えるべきことの増加につながり、学習者にとっては難易度を高める作用を生じさせてしまうのではないでしょうか。

これが3つめの理由となります。

おわりに

今回お伝えしたかったのは、英語を難しいと感じたり、英語の習得に苦戦している方々に、英語は数ある外国語の中でも決して習得が容易な言語ではない、ということでした。

私がフランス語を話せますと言うと、日本では多くの方が、フランス語のような発音が難しく、文法も複雑な言語を話せるなんて凄いですね、という反応をされます。

つまり、多くの方が意識的にせよ、無意識にせよ、ほとんどの日本人が第一外国語として学ぶ英語を、他の言語と比較して学びやすいもののはずであると、思い込まれているように感じるのです。

現に私自身が、フランス語を学び始めた初期の段階まで、英語の方が文法も簡単だし、単語の語尾も変化しないし、勉強しやすい言語だなどと勘違いしていました。

その後長い時間をかけて英語と付き合う中で、英語の奥の深さというか、英語の手ごわさを感じることが多くなり、上記のような考えに至ったのです。

英語が国際共通語となったのは、歴史の選択の積み重ねということだとは思いますが、それが現代の非英語圏諸国の人々に与えた影響は甚大です。

とはいえ、英語の不完全さは、世界言語としての英語の発展にとってはむしろ望ましいことかも知れません。

これが文法がかっちりと決まってしまっているフランス語のような言語だと、●●フランス語という派生形が生まれにくく、つまり伸びしろに乏しいため、結果として共通言語化への障害になったかもしれないからです。

英文法が難しくてなかなか頭に入らないとお悩みの方も多いかと思いますが、英語はそもそも外国語として学習する者にとっては、習得コストが高い言語であると思えれば、少しは気が楽になるのではないでしょうか。

最後に一言。

私は言語学者ではありませんし、世界中のあらゆる言語に精通しているわけでもありません。個人的な経験から上記のような仮説を展開してみました。

今回のテーマはいずれもっと掘り下げて考察してみたいと考えていますので、もし、私とは別の考え方や気づきがあったら、ぜひご意見を教えてください。